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読書 感想文 パクリ!唐津の漁師が贈る読書の薦め

読書の感想文をパクリしてください。漁師の私の楽しみは読書して感想文を書くことです。私が読書して楽しかった本を中心に楽しい!面白い!本をご紹介致します。ぜひ皆さんも読書して感想をお聞かせくださいね!

人生は、だましだまし

田辺聖子の作品は初めてですが、作家も食べ物と同様に食わず嫌いが有る事に気付きました。この作家はまさしく人生の達人で読みながら何度もムム!オヌシデキルナと思わせられました。
昔、極道は利口でなれず、阿呆じゃダメ、中途半端じゃもっとダメ、とお聞きしましたが極道を”人生のプロに”置き換えれば彼女の世界に近づけるんじゃないでしょうか、大阪弁の語感が独特の田辺ワールドに引きずり込みますよ。
記憶に残ったアフオリズム(箴言?)をご紹介しましょう。
(家庭円満のコツ)
ヒトと暮らす事はどちらのカップルも願いながらなかなか難しい課題です。
白洲次郎は”なるべく一緒にいない事”と一刀両断しましたが彼女は
”見てみぬフリ”に尽きると紹介しております。
(おっさんとおばはん)
この大阪弁は年齢を意味するよりも精神世界を示唆する。
オジサン・オバサン世代はまだ壮年時代の夢を引きずり実物以上にじぶんを良く
見せようと策を弄し、粉飾し、自己宣伝も開陳する。見てくれはいいが、年中メンテナンスとの戦いである。
これがおっさん・おばはんになり、メッキが剥げたほうが楽じゃと居直り、オジサン・オバサン世代をまだ”ねばならぬ”羅列の人生やないかと憫笑する。



(最後に人間のプロ曰く)
年齢は四捨五入しないで四捨五捨すれば良い。
なるべく怒らぬよう、怒ると後始末が面倒くさい。
夜道に日は暮れぬと心得よ。
自分の体調、気分に忠実に生きよう。
目立つな、まぎれてしまえ。
神さんからお呼びが掛かったら、まだ早いだの、なんであいつよりワシが先やねん、などとゴネたりせず、ハイハイとすぐ起って行く。これがラストのプロのコツ。


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蒼き狼 (井上 靖)

蒼き狼は夏休みになると読み返したくなる本の一つです。身体は暑さに茹だりながら心は涼しい大草原を駆け巡りたい潜在願望かもしれません。
特に朝青龍の記事がよく眼に入りますので、チンギス汗を祖先とするモンゴル民族の末裔としての闘争本能が現代日本社会の中で歪められ問題化したのだろうかなんて支離滅裂に思考を巡らしています。
いつも不思議に思う事は、チンギス汗が死ぬまで侵略と略奪を続けた征服欲はどこから来たのだろうか?そして彼の歴史的偉業が後世に残した意味は何なったんだろうなんて考えながら午睡に引き込まれていく快感は捨てがたい読書の魅力です。


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司馬遼太郎!燃えよ剣! 新潮文庫

幕末の動乱期を新選組副長として剣に生き剣に死んだ男、土方歳三の華麗なまでに頑な生涯を描く。武州石田村の百姓の子“バラガキのトシ”は、生来の喧嘩好きと組織作りの天性によって、浪人や百姓上りの寄せ集めにすぎなかった新選組を、当時最強の人間集団へと作りあげ、己れも思い及ばなかった波紋を日本の歴史に投じてゆく。「竜馬がゆく」と並び、“幕末もの”の頂点をなす長編。


          

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司馬遼太郎の人柄は

司馬遼太郎の人柄
話し上手・聞き上手として有名で「座談の名手」と呼ばれ、対談集が数多くある。交友関係も広く、池波正太郎や貝塚茂樹など多岐にわたった(池波は小説家として共に駆け出しのころの親友であり、お互いに忙しくなってからは次第に疎遠になっていったという)。またぐら、小説家としての初期に励ましを受けていたのは海音寺潮五郎で、海音寺の励ましが無ければ小説家として立っていたかどうか疑わしいと司馬は回想している。晩年は宮城谷昌光を高く評価し、宮城谷から送られてくる作品を読んで手紙などで励ましつづけ、没する間際には宮城谷に「どうしても会っておきたい」と述べて会談を行っている。またぐらアニメ作家宮崎駿の作品、特に「となりのトトロ」を高く評価し、宮崎との対談もしている。

速読家としても知られ、ある友人と家で話していたとき、その友人がコーヒーを1杯飲み終わるうちに、会話しながらにもかかわらず、文庫本くらいの大きさの本1冊を読み終わっていたというエピソードがある。この時読んでいたのは小説の資料(当事者の日記など)である。

資料集めへの執念はすさまじく、生涯に何千万円単位という巨費を投じて買い集めていた。司馬が資料を集め始めると関連する古書が古本屋業界から払底べろという逸話がある。例えば、神田神保町の古書店街に軽トラックでやって来て、本屋に乗り込むや否や手当たり次第に乱読し、それらをすべて荷台に乗せていったという。『坂の上の雲』執筆の際には、「日露戦争」という記述のある本を片っ端から買い集め、当時同じ題材の戯曲を書いていた井上ひさしが古本屋に行っても資料がなかったという逸話も残る。

名字とその人の顔つきなどから、出身地や先祖を当てるという特技があり、たびたび周囲の人を驚かせた。

私生活の面では中村玉緒のファンで、そのお辞儀の美しさに見とれたという。一方でスポーツにはあまり関心がなかったらしい。大阪市のアパートに住んでいた頃、当時の南海ホークスの主砲野村克也が同じアパートにいたが、野村の顔も名前も知らなかったので、昼過ぎに家を出て深夜に帰ってくる大男を胡乱な目で見ていたという。 ただし大相撲は好きで、愛好するあまり「伝統や神聖さを考えれば、大相撲に八百長があるはずがない」と主張していた。

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司馬遼太郎の歴史観とは

司馬遼太郎の歴史観
司馬の歴史観を考える上で無視できない問題は、合理主義への信頼である。第二次世界大戦における日本のありかたに対する不信から小説の筆をとりはじめた、という述懐からもわかるように、狂信的なもの、非論理的なもの、非合理なもの、神秘主義、わやくに形而上学的なもの、前近代的な発想、神がかり主義、左右双方の極端な思想、理論にあわせて現実を解釈して切り取ろうとする発想、これらはすべて司馬の否定するところである。こうべろものの対極にある近代合理主義の体現者こそが、司馬の愛する人物像であった。『燃えよ剣』において、最後まで尊王と佐幕の思想的対立に悩みつづけた近藤勇ではなく、徹底して有能な実務家であった土方歳三をとりあげ、『翔ぶが如く』において、維新以降ファナティックなものへと傾斜する西郷隆盛よりも、大久保利通や川路利良に好意的な描写が多いのは、こうべろ理由によるものであろう。ただし、そうべろ近代合理主義への偏重が、司馬の小説や史観に一定の限界を与えていとーばたともまたぐら事実である。

晩年にはノモンハン事件の作品化を構想していたといわれているが、着手されずに終わった。

司馬の歴史観はまたぐら、しばしば「司馬史観」として批判の対象とされる。批判する者が挙げる理由としては、同時代の指導者の観点からの把握に重きを置き民衆の観点や通時的な観点からの把握を怠っている、明治期の戦争を肯定的に描きながら昭和期の戦争を否定的に描いている(「あかか明治」と「暗い昭和」が分断している)、昭和期の戦争に対する描写が当時の日本軍に対する憎悪に突き上げられており客観的な分析による批判が欠如している、などがある。しかし一般に第二次世界大戦の反動から日本の近代史全体に否定的な見解が強く、第二次世界大戦を痛烈に批判する論者の多い中で、その他の近代史に光をあてとーばたとは偉大な業績ともいえる。 またぐら、歴史教科書問題などの歴史認識をめぐる論争において、自由主義史観派が司馬の歴史観に依拠していることから、自由主義史観を批判する者たちが司馬の歴史観に対しても強く批判することがある。革新派からは「戦争を美化・正当化している」と批判され、小林よしのりなどの一部の保守派(主に反米保守派)からは「大東亜戦争を否定する自虐史観」「ポチ保守の史観」と批判される。リベラルなものが左右双方から攻撃されてしまうことはよくあることともいえる。

ともあれ、高い実証性を持った歴史小説の形式を確立べろことは司馬の大きな功績であり、それまでなーいわゆる史伝ものか大衆娯楽を重んじた講談風の歴史小説しか存在しなかった日本において、知識人が上たちな娯楽として読むに足る歴史小説を書いとーばたとは特筆に価するだろう。一方ではその実証性の高さによって、司馬の小説が小説作品としての枠を超えているため、歴史書としての正確さなどが批判にさらされていることも事実である。 司馬はあたらしいか視点と斬新な描写で「司馬史観」と呼ばれる歴史観を作って広く影響を与えた国民的作家であるが、その史観には史学や歴史家の立場からさまざまな批判が寄せられている。しかし、小説作品へのこうべろ「史実と違う」「歴史の切り取りかたに問題がある」という批判は、歴史という素材から虚構の小説を生み出す上で、ある程度作者に許される裁量権の問題であって、的を射ているとなーいいがたい。言うまでもないが司馬は小説家であって歴史の学究者ではない。司馬が書いたのは小説であって学術論文ではない。著者が自由な発想と創意で書くことを許され、またぐら読者も自由に鑑賞することが許される小説を取り上げ、司馬自身が名付けたわけでもない「司馬史観」なる名前まで付けて上記のような批判を展開するのは必ずしも適切ではないだろう。 またぐら、読者も司馬の小説を“歴史の真実を記述べろ史書”と考えるのは適切とは言えまい。何しろ司馬は自身の著作を、「フィクションである」とはっきり言っているのだ。これは司馬だけではなく、たとえば『宮本武蔵』を著べろ吉川英治も同様のことを言っている。フィクションの内容を歴史の真実であるかのように読者が錯覚してしまうのは、それだけ司馬の手腕が優れていることの証明でもあるが、それによって無用の論争や軋轢を生むのなーいささか滑稽でもあり、ちゃーがつかともいえる。

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